Notice: register_sidebar_widget の使用はバージョン 2.8 から非推奨になっています! 代わりに wp_register_sidebar_widget() を使ってください。 in /virtual/ngrpk/public_html/wp-includes/functions.php on line 3382
ヤマカシと私 - NaGaRe

ヤマカシと私

2009年、私はフランスに行った。ヤマカシに会うため。そもそもパルクールを始めたキッカケは映画「YAMAKASI」だ。彼らの動きに魅了され、すっかり取り憑かれてしまった。だから、自分にとってヤマカシは特別な存在。かつての私は彼らの動き、言葉、精神をただひたすらに追い求めていた。もしかしたら、彼らの「強くなる」という言葉を盲目的に信じていたのかもしれない。

話を戻そう。2009年2月、シャルル・ド・ゴール空港。12時間以上いた飛行機から降り立ったとき、フランスに着たという感じがまったくなかった。初めての海外旅行だというのに、案外と日本と変わらないものだなと思った。しかし、いきなりトラブルが発生。空港からパリまで電車で行くのだが、切符の買い方が分からない。日本のような親切な案内板がない。おまけに自販機には札が入らないし、両替したばかりでコインを持ってなかった。結局、適当に押してクレジットカードで買うハメになった。

冬だったがそこまで寒くはない。日本とは違う景色が電車の窓に流れる。ここでようやくフランスに来たんだなぁという実感が出てきた。憧れのパリはすぐそこだ。ワクワクしていると、異様な光景が飛び込んできた。それはたくさんのトレーラーハウスが草原を埋め尽くすように並んでいる景色だった。一瞬で窓から消えたが、胸が妙にザワついた。

パリに着いて、地下鉄で予約したホテルに向かった。汚い駅の通路でも初めての海外だから、とても特別に見えた。当たり前だが周りに日本人はいない。少し緊張しながら歩いていると、道端に座り込んでいる若い男性を見かけた。とても痩せていた。じっと動かずに、俯いているだけ。彼は道に向かって手を広げていた。行き交う人々は彼のことを無視していた。しかし、たまに親切な人が小銭を恵んでいた。このとき、改めてここは日本じゃないと思った。

滞在中はひたすらのトレーニングだった。エッフェル塔もルーブル美術館も見てない。覚えているのは筋肉痛だけ。しかし、すべてが新鮮だった。いつも動画で見ていた場所で憧れの人たちと一緒にトレーニングが出来る。ヤマカシの全員ではなかったが、ヤン・ノウトゥラとチョウ・ベル・ディンの2人に会うことは出来た。特にヤンさんと行動を共にすることが多かった。言葉は分からないが、彼の熱い人柄はヒシヒシと伝わった。チョウさんは最終日の前日に会うことが出来た。優しくて、強さを感じた。ヤマカシの中でチョウさんが一番好きなので、このときは本当に嬉しかった。その他の人たちもみんな親切だった。泊めてくれたり、色々とお世話になった。そういえばこんなことがあった。トレーニング中に休憩していると、ある男性が飲んでいた水を分けてくれた。自分も水を持っていたので断ったが、二回目のときはもう水がなかったので飲んだ。日本ではほとんどないことだ。

思えば、2003年にヤマカシの影響でパルクールを始め、6年後にそのヤマカシに会い、そしていまだに私はこのスポーツを続けている。とはいえ、実はここ一年半ほどパルクールから離れていた時期があった。理由はまだ伏せておくが、私はとにかく追い詰められていた。彼らの「強くなる」という言葉は無意味に響くだけで、一体どういう風に生きればいいのか分からなくなっていた。

そんなときとある人物と出会った。彼はこう教えてくれた。
「自分のままでいいんだ。形にとらわれるな」
文字にすると驚くほどに軽い言葉だが、なぜだがとても救われた。自分が自分であることを誇る。そんな当たり前のことを、私はすっかりと忘れていた。パルクールだけが人生と思い込んでいて、視野が狭くなっていたのかもしれない。確かにこのスポーツは宝物であり、人生で大事なことをすべて教えてくれた。しかし、人生はパルクールではない。障害物をどう乗り越えるか、辛いトレーニングをやり通せるか、そういうことを通じて、生き方を学ぶ一つの術に過ぎない。だから、私はこのパルクールで培った力を社会の中で活かしていきたいと考えている。

この国の将来は暗い。子どもは減り老人が増え、若者は将来に希望を持てず、年間3万人以上の人たちが自ら命を絶っている。色々な問題が起こっているし、いま苦しんでいる人たちは大勢いる。少数派の人たちが誤解され、偏見に苦しんでいる。さらに格差はどんどんと広がり、いずれは大地震が必ず起こる。トレーラーハウスのような住居が立ち並ぶ日は遠くないはずだ。そんなときパルクールをどう活かすべきか。先人たちのように背筋を伸ばし、目の前に起きている現実を見据えることができるだろうか。

パルクールが生まれた背景には差別、貧困、非行といった負の社会構造があると思う。実際にヤマカシのほとんどは移民の子であり、郊外の人間たちだ。日本人にはピンと来ないだろうが、自分一人ではどうしようもできない現実がフランス社会にはある。だから、彼らは強くならないと生きていけなかったし、互いに助け合うことを重要視したのだ。水を分け合うように、喜びや苦しみを共有した。それがヤマカシたちの合言葉である「we start together we finish together」という精神だと思う。

今、ようやくヤマカシたちの言っていた言葉が分かりつつある。きっと言葉を真に理解するには、体験や経験が必要なのだろう。しかし、その上で私は強くなりたいとは思わない。ただ、自分でありたいと思っている。ありのままの自分に。そして、困っている人がいたら助けてあげたい。そのための力をいま鍛えていることである。体をジャンプさせたり、回転させる筋肉ではない。社会という障害物を乗り越えるタフな筋肉を身につけたいのだ。

By ユーロウ(Kazuya Miyanaga)
2014年11月21日